Django:「今回は、燻銀のトランペッター、"ジョー・ワイルダー(Joe Wilder)"を採り上げる。」
Murphy:「聞いたことないね。」
D:「ジョー・ワイルダーは、マイルスやクリフォード・ブラウン、ケニー・ドーハム、アート・ファーマーなどのように、知名度があるわけではない。しかし、その実力は第一級で、何よりトーンの美しさは特筆すべきものがあるんだ。歌うようなメロディーライン、シンプルな中にもスインギーなアドリブは、他に代え難い魅力を持っている。」
M:「そうか、ほとんど知られていないのか。アルバムの数は?」
D:「あまり録音していないんだ。」
M:「いつ頃の人?」
D:「ジョーは、1922年2月22日生まれ。マイルスが1926年だから、4歳年上だね。」
M:「そうすると同世代になるのか。どこの人?」
D:「ペンシルバニア州コルウィンで生まれ、フィラデルフィアで育った。」
M:「フィラデルフィア出身のジャズマンも多いんだね。その後は?」
D:「父親がバンドリーダーで、12歳のときにその父親からトランペットを学んだ。その後、音楽学校に入学し、卒業後レス・ハイト楽団に入団。そこで、ディジー・ガレスピーと共演した。42年からは、あの有名なライオネル・ハンプトン楽団の所属する。その後、いくつかの楽団を歴任し、50年代からブロードウエイの劇場オーケストラに所属。54年には、カウント・ベイシー楽団の欧州ツアーに参加。このころから多くのジャズメンと交流する。当時、彼の実力は相当なレベルに達していたようだ。」
M:「ジャズのプレイヤーって、ほとんど最初は、楽団に所属する人が多いんだね。」
D:「その当時はね。そこで鍛えられるんだ。62年にはベニー・グッドマン自らの要請でソ連へのツアーにも参加。以降は、フリーランサーとしての仕事と、レコーディング、
ニューヨーク市のコンサートオーケストラのソリストを初めとするオーケストラでの活動が中心だった。」
M:「ということは、比較的地味で堅実な生活だったのか。」
D:「そうだな。当時のアメリカには、ジョーのように本当の玄人好みのミュージシャンが多数存在していた。そのあたりが、ジャズの底辺をしっかり支え、根付かせていたと思うんだ。オーケストラ活動の合間に、ひとたびジャムセッションをすれば、有名ジャズメンと互角、あるいはそれ以上のパフォーマンスを披露した。いたずらにスター・プレーヤーを目指さず、地道に音楽を追究しながら、自分の音楽生活を楽しんでいたと思うんだ。決して、有名ジャズメンばかりが、ジャズを支えたのではないっていうこと。目立たない隠れたなかに一流のミュージシャンが潜んでいる。このことをしっかり認識しておかなければならないと思う。」
M:「そうだなあ。ともすればスタープレーヤーばかりに目がいくものね。マイルスを聴いてそれだけでジャズがわかったことにはならないということか。」
D:「Murphyくんの言うとおりだよ。ジョーのようなほんとうに音楽を知っていてうまいミュージシャンの演奏を聴くとわかるよ。実は、ジョーは、クラシックのアルバムも残しているんだ。ハイドンやサンサーンス、ルロイ・アンダーソンなんかの曲を録音している。今でこそ、ウイントン・マルサリスのようにジャズとクラシックの両方を演奏するミュージシャンもいるけど、当時はあまり前例がなかったと思うね。ところで、"チェロキー"っていう曲知ってる?」
M:「ああ、知ってるよ。確かクリフォード・ブラウンも録音しているね。」
D:「そのとおり。ガレスピーもよく演奏したスタンダード曲だ。ジョーも50年代にSAVOYに吹き込んでいる。「ワイルダーン・ワイルダー」というアルバムで、1曲目に演奏している。この"チェロキー"いいよ。普通はこの曲、アップテンポなんだけど、ミディアムテンポで原曲のメロディーラインを大切に歌い上げている。ジョーのスインギーで流麗なアドリブも素晴らしく冴えわたっている。音色も抜群。それと、リズム陣がまたいい。あのハンク・ジョーンズがピアノを担当している。ハンクは、シンプルで控えめながらいつも音楽が深い。ジョン・ルイスとハンク・ジョーンズは本当に音楽とは何か、ということを実に良く知っているね。このアルバムを聴いていると、ああ、ジャズを聴いていて本当によかったってつくづく思うね。」
M:「そうすると、"ジャンゴ効果"も高そうだね。」
D:「そりゃもう。"ジャンゴ効果"100%を超えてしまっているよ。」
※本文中のジョー・ワイルダーの履歴に関しては、「ワイルダーン・ワイルダー(キングレコード)」LPレコード付録の大和明氏のライナーノート(1989)を参考にした。
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ワイルダーン・ワイルダー/ジョー・ワイルダー SAVOYレーベル
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