最近街のどこのレコード店に行っても、ジャズのコーナーでジョージ・ルイス(George Lewis)のCDが見あたらない。大型ストアでは、アルファベット順に並んでいるなかで、一応 ジョージ・ルイスのタグは、存在するのだが、一枚も入っていないことが多い。ジョージ・ルイス に限らずニューオリンズ・ジャズはめっきり影をひそめてしまった。かつて、LP時代には、ジョージ・ルイスといえば、OJC盤などを含め10枚程度のレコードが置いてあったのに。世の中で次第に忘れ去られようとしているトラディッショナル・ジャズ。レコード店の現状を見るとそう思わずにはいられない。
ジョージ・ルイスは、1900年にニューオリンズ市で生まれた。奇しくもこの年に、もう1人のニューオリンズ出身の巨人、ルイ・アームストロングも生まれている。1940年代にニューオリンズ・リバイバルブームが訪れ、その頃からバンク・ジョンソンとともに、ニューオリンズ・ジャズの代表的存在として認められるようになった。その後、天性の音楽的才能と素朴で暖かみのあるヒューマンな人柄により、その名声は次第にアメリカ全土にまで及んだ。
1960年代の前半、63年、64年、65年の3年にわたり日本にやってきて、延べ250回にもおよぶコンサートを行った。1963年の東京厚生年金でのコンサートは、深い感動をもたらした歴史に残る伝説のライブといわれている。当日の模様は、幸いにもキングレコードが、レコーディングを行い、LPをリリースし名盤となった。その後、85年にそのCD版が発売された。2004年8月にも再リリースされたので、現在でもまだ入手が可能である。録音状態も良く、今でもそのライブの熱気を高音質で味わうことができることは、有り難いことだ。
歴史に残る名演がレコード化され、今でもその演奏が聴けるということの有り難みをつくづく感じるアルバムの一つが、このアルバムで、タイトルは、ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963。このアルバムに初めて触れたのは今から20年以上前になるが、これがきっかけで、ディキシーランド・ジャズにも興味を持つようになった。それまではひたすらビバップ以降のいわゆるモダンジャズばかりを聴いていたし、当時ジャズ喫茶に行っても、モダンジャズばかりで、普段からあまり耳にする機会がなかったので、ディキシーランド・ジャズについては、特に強い関心を持っていたわけではなかった。
ところが、このアルバムを初めて聴いて、大変深い感銘を受けた。特に驚いたのは、ジョージ・ルイスのクラリネットだった。8曲目のバーガンディー・ストリート・ブルース(Burgandy Street Blues)は、ジョージ・ルイス自らの作曲で、彼の十八番中の十八番であり、この静かな曲を聴いて、しみじみと響き渡る彼のクラリネットが、聴き終わったあとも、いつまでも自分の心に残り、忘れられなかった。彼のクラリネットは、独自の奏法でユニークなスタイルを持っており、他の誰もがそう易々とまねのできないものである。
セントルイス・ブルースが3曲目に入っている。普段聞き慣れたセントルイス・ブルースとは随分異なり新鮮だ。ジョー・ワトキンズのヴォーカルを是非聴いていただきたい。ヴォーカルの後は、ジョー・ロビショーのピアノが続く。このブギスタイルのピアノは、ロックンロールにつながるノリの良さを持っており、これなら今の若い人が聴いても、けっこう惹かれるのではないかと思う。そこへバンジョーが絡む。最後のルイスのクラリネット・ソロが光る。
エマニュエル・セイレスのバンジョーを聴いて、これは到底ギターで代用は無理だと思った。あの歯切れの良さ、カラッとした音色は、ディキシーラン ド・ジャズには不可欠である。どうしてバンジョーが入っているのか、初めてわかったような気がした。それ以来、バンジョーにも関心を持つようになった。 バンジョー抜きでは魅力は半減する。このアルバムの最後を飾る聖者の行進での、彼のバンジョー・ソロは圧巻である。フォスターのスワニー河が出てくる。
この歴史的記録を収録したアルバムのライナーノートは、野口久光、油井正一という、かつて日本のジャズ論壇を代表した両氏が書かれ、ニューオリンズ・ジャズ研究家の平松喬氏も寄稿されている。ライナーノートの冒頭で野口久光氏は、ジョージ・ルイスの音楽について以下のように記されている。(Djangoより)
「ある人たちが古いとおもい込んでいるジョージ・ルイスのジャズには素朴ではあるが純粋な美の追究、ヒューマンな温いこころが脈打っていてわれわれに大きなよろこびと感銘を与えずにおかない。」(野口久光、ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963 ライナーノート、1963年)
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