Murphy:「Djangoくんの最も好きなJazzミュージシャンは誰なの?」
Django:「いきなり質問?」
M:「Djangoくんは、けっこう幅広くJazzのこと知っているから、一番好きな人は誰なのかなあって、思ってたんだ。おそらく、ジャンゴじゃないかって予想しているんだけど。」
D:「もちろん、ジャンゴは、大好きだよ。名前からしてDjangoだもの。」
M:「と、いうことは、一番じゃないのかな?」
D:「一人だけ選ぶなんて無理だよ。自分の好みもその時々によって変わるだろうし。」
M:「いや、きっと、Djangoくんは、この人だと思っているけど、言わないだけだろう?」
D:「そんなことない。まあ、どうしてもMurphyくんが、一人だけあげろと言うんなら候補はあるけど。でも、先に言っておくけど、他にも自分の気に入ったアーティストは、本当に多いんだから。」
M:「それはわかっているよ、早く言えよ?」
D:「それなら、言います。ルイ・アームストロングだね。」
M:「へえー、意外だったな。Djangoくん、あれだけモダンジャズが詳しいのに。」
D:「ルイ・アームストロングは、まさに"キング・オブ・ジャズだね。LPの頃から数えても自分の持っているアルバムのなかでルイが一番多いかな。」
M:「で、どこが魅力なの?」
D:「あのノリのよさ。太い音。独特の歌声、巧みな間と即興のスリル、音楽をやっているのがこんなに楽しいっていう実感。全身ジャズだね。明るくホットなジャズ。理屈抜きで楽しめる。今でもどこかなつかしい香りがする。挽きたてのコーヒーの香りかな。そして、これが一番決定的なんだけど、ブルース精神だ。ブルースだよ。彼ほどうまいブルースが演奏できる人はそうはいないよ。抜群のスイング力で、"ジャンゴ効果”の最も高い音楽だね。」
M:「そうか、なるほどなあ。ジャズって結局はそれなんだね。ところで、サッチモのことって、これまであまり知らなかったんだけど、いつ頃どこで生まれた人なの?」
D:「で、少し説明を。ルイは、1900年7月4日にニューオリンズで生まれた。当時、ニューオリンズの街にはラグタイムやブルースが流れていた。ルイは貧しかったので小学校にも行けず、ストリートキッズだった。1913年の正月に、ルイは爆発する。クリスマスや正月っていうのは、貧乏人は不幸が身にしみる。ついに、ピストルを持って打ちまくった。幸いけが人はなかった。この事件で、ルイは少年院に入る。」
M:「へえ、13歳で。」
D:「ところがこれがラッキーだった。少年院で、楽器を手にする。最初は、タンバリン。1年後についに念願のコルネットのポジションを手に入れる。その後は、水を得た魚のように毎日練習に明け暮れた。ブラスバンドではなんと言ってもコルネットが花形だから、よほどうれしかったんだろう。2年後、退院。しかし、コルネットの持ち出しは出来なかった。家に帰り、毎日毎日コルネットのことばかり考える。欲しくて仕方がない。そこで、コルネットを買うために、石炭の運び屋になる。夜になれば、音楽を聴きたくてダンスホールの近くをうろつくことが日課となる。」
M:「なるほどそれで音楽を覚えていったのか。」
D:「当時のニューオリンズは音楽を覚えるには最高の環境だよ。その後ルイは、あるコーヒーショップでコルネット吹きの仕事を見つける。コルネットが貸し与えられた。ところが、しばらく吹いてなかったので唇が弱っており残念ながら
思うように吹けなかった。それで楽器がだめなら歌でいこうと、ブルースを歌ったところこれが受けた。歌を歌いながら得た収入でついにコルネットを購入、そして練習に励んだ。」
M:「ここからだね。ルイのスタートは。」
D:「唇も回復し、歌とコルネットの両方で演奏するようになる。ルイは、曲のテーマをたくみに変奏する能力に長けていた。即興演奏を強調するようになる。次第にルイの名前は知れ渡る。音の大きさでは絶対に負けなかった。歌にも磨きがかかる。いよいよルイは一芸の枠を超えていく。その評判は、ニューオリンズ一帯に広まる。そして、ある日トランペットの王様、キング・オリバーがシカゴから噂を聞きつけて、ルイに会いにやってくる。」
M:「運命の出会いだね。」
D:「第一次世界大戦に入り、出兵のためニューオリンズは寂れていく。1922年キング・オリバーから、シカゴへの誘いの手紙が届く。かくしてルイは、ジャズの街大都会シカゴへ旅立つ。そしてついに、オリバー楽団に入る。身近にキングの音楽から学んだことは、計り知れないものがあった。田舎から出てきたルイは、純朴なるが故みんなから愛される。1925年オリバー楽団のピアノのリル・ハーデンとめでたく結婚。彼女から、楽譜の読み方、記譜法、編曲法にいたるまで連日音楽理論の特訓を受ける。そして、この年、オリバー楽団から独立し、ニューヨークの当時ビッグバンドの最高峰といわれたフレッチャー・ヘンダーソン楽団に入団。ちなみに当時、この楽団で編曲の仕事をしていたのが、後のスイング・ジャズブームの仕掛人、ベニー・グッドマンだった。ルイは、その年の末には、ふたたびシカゴに戻る。そしてついに、念願の自己バンドを結成し、決定的な評価を受ける。オーケーレコードからレコーディングの誘いを受け、数々の名演奏を録音する。この間の演奏がいわゆるルイの前期黄金時代である。」
M:「Djangoくん、ルイのことよくわかったよ。」
D:「その前期黄金時代の1925-30年までの演奏は、「The Hot Fives & Sevens」に収録されている。LP時代は、CBS、CD時代はソニーレーベルなんだけど、もうこの時代のルイの演奏は、本当に素晴らしいよ。あと、戦後の50年代もふたたびコンボで演奏をおこない、数々の名アルバムを残している。これが後期黄金時代。ボクはLP時代からの大ファンで、LPを持っていながら、改めてCDを購入している。CDのソニー盤について、特に戦前のオーケーレーベル時代のものは、音質の面で若干の不満を持っていたんだけど、1999年にイギリスのJSPレコードが、復刻Boxセットをリリースした。このインパクトは大きかったね。いまではこのJSP盤があるから、LPをかけなくてもいいようになった。Murphyくんには、ぜひ、このJSP盤をすすめるよ。」
M:「そうか、わかった。ところで、Djangoくん、おすすめの曲は?」
D:「コンボの演奏は全部いいんだけど。やはり、ブルースだね。ウエスト・エンド・ブルース(West End Blues)、最高だね。日本の世界に誇るジャズピアニストの秋吉敏子さんも、初めて買ったLPが、ルイのウエスト・エンド・ブルースだったそうだよ。」
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Louis Armstrong 1925-30 The Hot Fives & Sevens [Box set]
The Hot Fives & Sevens
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