これまでずっとジャズを聴いてきて、振り返ってみると今年で40年ほどになる。高校1年の時に初めてジャズのアルバムを買ったのだが、そのときのLPレコードは今でも覚えている。デイブ・ブルーベックのテイク・ファイブ(Take Five)という当時大ヒットしたアルバムだった。自分で買ったジャズのレコードは、これ一枚だけだったから、毎日聴いていた。それから、ジャズのレコードも少しずつ増え始め、高校卒業するまでには、ある程度の枚数になった。といっても高校生にとっては高価なものであり、月に一枚ぐらいのペースだった。
大学に入り、ますますジャズを聴くようになった。しかしその頃から、ジャズの世界のとてつもない広がりを知るようになり、今まで聴いていたのはほんの入口だったことがわかった。ジャズというのは、森のようだと思った。ジャズという森の入口に自分は、いま立っている。これからその森を探検し、さまよい歩くという何か未知なるものへの期待感が高まっていった。
最初に足を踏み入れた森は、モダンジャズという森。当時の最先端はマイルスのビッチェスブリューというアルバムだった。新譜紹介を読みながら、最新録音盤以外に古いものへの関心も高まった。いわゆるビバップというムーブメントを知ったのもその頃だった。ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーなどの40年代のアルバムにも触れた。
このモダン・ジャズの森は、実に多彩で奥に入れば入るほど魅力が高まっていった。40年代の半ばから50年代、そして60年代へと続くその森は、今振り返れば黄金時代といわれる時代であった。ソニー・ロリンズ、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイビス、アート・ペッパー、アート・ブレイキー、ビル・エバンス、バーニー・ケッセル、ウエス・モンゴメリー、マックス・ローチ、アート・ファーマー、バド・パウエル、MJQ、レイ・ブラウンなどいずれも小さな丘に見えたものが、近づくとさらに奥が深いこともわかった。歩き疲れたときは、いつもMJQの丘で小休止した。疲れたからだを癒してくれる場だった。ジョン・コルトレーンは超絶的な滝のように見えた。近寄りがたい崇高さが支配していた。
マイルスの丘は、道案内も豊富で、50年代のプレスティッジ時代からCBS時代へと続くルートもしっかり整備され、ジャズの楽しさを教えてくれた。マイルスの切り開いたルートを歩んでいくと、40年代のビバップから50年代のクール、ハード・バップ、60年代のモードへと、時代ごとに刻々と風景が変わり、今から思えば、途中道に迷わず、ジャズのスタイルを知るのに大変いい勉強になった。また、マイルス・ルートは、各時代ごとにサブルートを持っており、横道にそれて、マイルスの周辺のミュージシャンたちと出会うこともできた。ベースのポール・チェンバースを知り、ブルーノート・レーベルのベース・オン・トップという名盤に出会うこともできた。ビル・エバンスもそうだ。CBS時代のハービー・ハンコック、ウエインショーター、トニー・ウイリアムズ、ロン・カーターなどもマイルスのルートで知ることができた。
ソニー・ロリンズは今でも現役で、そのルートは果てしなく続いているが、実に楽しい風景だ。奥の方へ足を踏み入れても、いつもロリンズ独特の歌がその先に待っており、明らかに他とは異なる個性があった。60年代に入り、このソニー・ロリンズのルートでジム・ホールを知った。この人を知ってから、ジム・ホールというサブルートを好んで歩くようになった。振り返ってこのルートを遡ると、50年代のパシフィック・レーベル時代の演奏に出会うこともできた。これは大変な収穫だった。と同時に、ビバップ以降のジャズギターの開祖ともいえるチャーリー・クリスチャンの存在を知ることができた。チャーリー・クリスチャンはジャズギターにおけるベース・キャンプといった感じで大変居心地がよかった。ベース・キャンプで体を休めて栄養補給するように、チャーリー・クリスチャンからは、実においしいフレーズを発見することができた。
チャーリー・クリスチャンというベース・キャンプで滞在するようになってから、これまで見向きもしなかった、1940年代以前の古いルートに興味を持つようになった。それから、どんどん時代を遡り、30年代のスイング・ジャズを発見した。これはまたとてつもなく大きな森だった。いや大きな森というより、故郷と言う方が正しいかも知れない。クラリネットの素晴らしさを知った。ベニー・グッドマンは花咲く丘だった。チャーリー・クリスチャン経由でベニー・グッドマンに出会ったことは自分でも意外だった。CBSの小編成のベニー・グッドマン・コンボに加わったチャーリー・クリスチャンのアルバムは、今でも座右の愛聴盤だ。
このあたりのスイングの森を散策すると、ベニー・グッドマンとともにいくつかの丘に巡り会うことができた。カウント・ベイシーという大きな丘であり、ベイシーのルートは、1920年代から1970年へとずっと続いていくことがわかった。レスター・ヤングという金字塔とも出会った。このスイングの森を散策していると、モダンジャズの森から来たものにとって、既知の存在でもあるが、これまでなんとなく傍観していただけのルートを発見した。そのルートは、野性的で大昔から存在している原生林を突き抜ける魅力的なトレッキングコースであった。その原生林はジャズという奥深い森のなかで、現在も生き続けている力強い生命力を持った存在であり、そのルートを遡ると、ジャズという森のルーツに出会えるような気がした。
それが、ルイ・アームストロングというニュー・オリンズに起点を持つルートだった。ワイルドで生命力を持ちながら、それでいて険しくなくいつでも近寄れる身近な存在だった。20年代のOkeyレコード(現CBS)に吹き込んだ1926年の名盤に触れたとき、ジャズという森のとてつもない広がりと深さを知ることとなった。いつでも気軽に立ち寄れて、今聴いても色あせない景色。スイングするということの楽しさを一番教えてくれたルートだった。
このルートからニューオリンズ・ジャズの世界を知り、いつでもルイ・アームストロング・ルートをさまよいながら、30年代から40年代、そして戦後の50年代へと進むようになった。それ以来、ジャズは100年のスパンで聴いた方がはるかに楽しいと思うようになった。ちょうど、アメリカのアパラチア・トレールのように、そのルートは長い方がおもしろいことがわかった。ニューオリンズとスイング、そしてモダンジャズが連続して楽しめるようになったのは、このルイ・アームストロング・ルートに出会えたからで、いまでもこのルートは最も好きなルートの1つだ。
しかし、そのジャズの森で20年以上過ごし、様々なルートを1人で歩けるようになっても、1つだけ、近寄りがたく避けて通っていたものがあった。外から見ると、その森は異様で、ジャングルのように見えた。その周囲をうろついても全く森の中は見えず、想像すらできなかった。自分では、よくわからないので単にスイングの森ということで片付けていた。しかしその森はあまりにも異様で、いったいそのなかをさまよい歩いている人はいるのだろうかとも思った。森の名前は有名だが、入門書やガイドブックがほとんど見あたらない。また、身近にその森のガイド役もいない。それが、デューク・エリントンの森。
エリントンの森は、先ほども言ったように、これまでさまよい歩いたどんなジャズの森とも違った景色だった。今から10年ほど前に、ついにこの森に近づく決心をした。その理由は、モダン・ジャズの森をさまよい歩いた後、昔に遡り、スイングの森を経由してニューオリンズの森へ入り、ニューオリンズ・ジャズに慣れ親しんだときに、味わった風景や果実と少し似た雰囲気や香りがしたからである。エリントンの森の周囲をさまよっていると、どこからともなくニューオリンズの香りが伝わってきた。この森にはひょっとして、おいしい果実があるのではないかと思った。(つづく)