エリントンの森、この不思議な世界。
いったいこの森は、どういう森なのだろう。これまで経験してきたジャズの森とは全く異なる別次元の世界のようにみえた。森の入口もわからない。どこから入ってよいのか全く検討もつかない。しかし、それだけに他のどんなジャズよりも興味がわく。遠くから聞こえる音色は、昔なつかしいニューオリンズのクラリネットやトランペットの響き。入口がわからずどれがこの森のルートなのかも知らずにとにかく足を踏み入れた。
異様な風景だ。これまで見たことのない景色。双眼鏡をのぞいてみると、確かにジャズのイディオムがみえる。ニューオリンズスタイルからスイング、ビバップ、モダンなどあらゆるジャズのイディオムが、あたかもそれらをすべて飲み込んだように存在している。でも、全体を見渡すと、これまで親しんできたジャズのどのスタイルにも当てはまらない。ある部分だけを観察すれば確かにジャズだ。でも、その風景は明らかにジャズを超えている。また、その風景は、全くのエリントンという独創的で、他では決して見られない景色だ。
エリントンの森なら、A列車があるではないかと、どこからともなく聞こえてきそうだ。その通り、この森に入ってすぐに見つけたのは、A列車だった。でも、このA列車は何となく鉄道をイメージしていたのだが、現実にはNYのハーレム行きの地下鉄であり、ビリー・ストレイホーンがその地下鉄からのイメージで作った曲だった。ひとまずこのA列車に乗り、エリントンの森の裾野を見て回った。1941年のオリジナル号とともに、ベティー・ロシェの加わった1950年号にも乗った。同じA列車でも、これだけ違うのかと驚いた。時代と共にスタイルが変わっている。エリントンはいつの時代のどんなスタイルですか?と尋ねられても返答に困ってしまう。というのは、このA列車の場合でも、1941年と1950年、それに1966年のRCA録音(The Popular Duke Ellington)では、全く異なる様式で、これはエリントンのすべての曲にあてはまることだ。
同じ曲を時代の変遷にもとづき何度も録音する。しかし、それぞれが全く異なる輝きを持つ。古いほうがよいとか新しいほうがよいといった、時代の尺度での評価が全くできない。時代の移り変わりのなかで、つぎつぎと新たな時代のモードを飲み込んでいった。ところが、いくら飲み込んでも、エリントンはすべてを消化し、独自のカラーで再構築していく。あるいは、エリントン流の哲学で、時代のモードとは関わりなく全く新しい独創的なサウンドを作り上げる。
その構築の設計図は、エリントンの右腕といわれたビリー・ストレイホーンとともに、実に綿密に仕上げていく。そして、その図面には演奏家まですべて指定する。エリントン楽団は、構成メンバーの何度かの異変はあったものの、他のビッグバンドに比べると圧倒的に異動は少ない。誰1人その楽団員が抜けても成り立たないほど、有機的につながっている。バリトンサックスのハリー・カーネイは1927年の入団以来74年の逝去にいたるまで、アルト・サックスのジョニー・ホッジスは、28年の入団から70年までのほとんどの期間、いずれも大番頭として楽団を支え続けてきた。他に、トロンボーンのローレンス・ブラウン、ニューオリンズの香りを伝えるクラリネットのバーニー・ビガードなど、キラ星のごとく超一流の個性豊かなジャズプレーヤーが集まっていた。
エリントン楽団ほど楽団員の長続きしたバンドは前例がない。エリントニアンと呼ばれる個性豊かなジャズプレーヤーたちは代役が不可なほど、際だった存在であり、彼らの演奏手腕が楽団を支えていた。しかし、一度演奏が始まると、いくらジョニー・ホッジスが素晴らしいソロをとっても、すべてはエリントンの目指したサウンドイメージを忠実に構築していくための役割であり、個人のプレーヤーの競技会では決してないところに、エリントン楽団の大きな特質がある。そういった意味では一流のクラシックのオーケストラに近い存在だといえる。ベルリンフィルのクラリネットの首席奏者であるカール・ライスターさんが、いくらソリスト級の超一流奏者であっても、オーケストラでの演奏は、そのパートに徹して音楽を作り上げていくのと同じだ。
エリントンの森の風景に戻ろう。この森に足を踏み入れて、しばらく経ってからつくづく思ったことがある。それは、これまでジャズの森で経験してきたことが、この森へ入れば、とても役に立ったことである。でも、それはある演奏を聴いて、これはマイルスだとかロリンズといったように、このプレーヤーが誰であるのかわかるようになったことではなく、個人の独創的なプレーヤーの演奏を覚えたことでもなく、ジャズという固有の共通言語になじんだことだった。一言でいえば、ジャズのイディオムである。このジャズのイディオムは、ニューオリンズからコンテンポラリーに至るまで、長い時代のなかで、培われてきたものである。
ビバップは、確かにこれまでのジャズの歴史のなかで1つの革新的な出来事であった。そこにバップ・イディオムというものが生まれて、このバップ・フレーズを基本に各プレーヤーが独自に発展させアドリブを展開していく。そのアドリブのおもしろさに引き込まれてジャズの森で多いに楽しむことができた。そうしたなかで、ビバップ以前のジャズは、アドリブの醍醐味が劣るのではないかと思い続けてきた。しかし、ルイ・アームストリングのルートを遡り、スイングやニューオリンズの森を歩いて思ったことは、ビバップのように小節を細分化しすぎず、ゆったりとのびのびと歌う楽しさを発見したことだった。ニューオリンズの森での、ファッツ・ウォーラーのストライド奏法のおもしろさや、ジョージルイス・バンドの持つ熱狂と人間味豊かな温かさ、それにBasin Street BluesやSt. Louis Bluesなどに代表される、歌を伴うブルースなど、こういったジャズの持つ最も基本的なスイング力と、ブルース・フィーリングをそこでは存分に味わうことができた。また、スイング時代に多く生まれたジャズ・スタンダードといわれる魅力的な歌に出会ったことも貴重な経験だった。そういったことが、その後のエリントンの森への散策を増幅させていったようだ。(つづく)